あなたが、もっとも“恐怖”を感じる瞬間とは?
「おぞましいほどの、“人の狂気”に触れたとき」
それが私にとって、もっとも恐怖を感じる瞬間だ。ポイントは“人”である。心霊系YouTuberのイチオシは『オウマガトキFILM』である。ここに共感していただける方なら、きっと本作を観て後悔することはないだろう。
Netflixオリジナルドラマ『呪怨:呪いの家』をレビューする。最後までおつきあいいただければ幸いだ。
スタッフ・キャスト
ここでは主要スタッフとキャストをご紹介。ウィキペディアに記載のある方はリンクを貼っておくので、是非、他の参加作品などもチェックしてみていただきたい。
【スタッフ】
監督:三宅 唱
音楽:蓜島邦明
【キャスト】※役名のある方のみ
小田島泰男:荒川良々
本庄はるか:黒島結菜
河合清美(重松久美):里々佳
桂木雄大(小林勝次):長村航希
白い服の女:岩井堂聖子
深沢哲也:井之脇海
深沢道子:仙道敦子
久世真奈美:土村芳
「M」:柄本時生
有安君江:倉科カナ
水上芳恵:大和田南那
高坂 保:テイ龍進
小田島耕吉:松浦祐也
佐々木 篤:中村シユン
兵藤真衣:望月ひとみ
重松俊樹:山田暖絆
5歳の小田島泰男:加藤櫻華
小田島一葉:禾本珠彩(ノギモト ジュイ)
辻井由香:藤井武美
河合美菜:松岡依都美
野口 匠:足立智充
佐光憲保:鎌田規昭
伊藤夏希:二井内玲海
真崎圭一:松崎亮太
真崎千枝:久保陽香
灰田信彦:カトウシンスケ
灰田景子:柳沢なな
諸角勇作:夙川アトム
諸角智子:安野澄
砂田洋:浦山佳樹
絶妙な時代設定
今や『呪怨』という作品を知らない人はいないだろうが、最初の作品『呪怨』が発表されたのは2000年のこと。しかもビデオ作品だ。
本作『呪いの家』は、その最初の『呪怨』以前の、昭和の終わりから平成の始めという時代設定となっている。この時代設定が、本作に、絶妙な雰囲気を加えているのだ。
バブルの狂騒と、その後の倦怠感。
時代と共に大きく浮き沈みする人の意識が垣間見えるこの時代に、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」「女子高生コンクリート詰め殺人事件」「地下鉄サリン事件」「神戸連続児童殺傷事件」といった、日本の犯罪史上に名を残す大事件が起こっていたという事実を、劇中の小道具として登場したテレビが伝える。
UFOでもUMAでもない。ましてや悪霊でもない。私たちと何ら変わらぬ人間が、ここまで残忍な行いをしたという事実を突きつけられる。
これらの事件をリアルタイムで知らない世代が、これを見て、どう感じるかはわからないが、少なくとも、当時、その進展を毎日気にしていた私などにとっては、これだけで、なんだかどんよりとした気分になる。
これらと今回の舞台となる「呪いの家」との直接的な関係はないのに、なんだかまるで、それらもこの家に巣食う怨念によって導かれているような不思議な気分になってしまう。
それに、まだ携帯電話が普及していない時代だからこその、”ちょいレトロ感”も、暗めの映像にジメッとした空気をまとわりつかせている。
連鎖する呪い
過去の『呪怨』シリーズ同様、オムニバス形式で、様々な登場人物それぞれの物語を”点”として見せながら、それらがやがて”線”に繋がるような展開を見せる。
”お化け屋敷”とウワサの空き家に潜り込む高校生たち。
遊び半分で入ったその家こそが、本作のキモとなる”呪いの家”だ。
どこにでもいそうな若者たちの未来を、黒く塗りつぶしていくのは、若さゆえのあやまちか、はたまた”呪い”か・・・
恋人と結婚するために新居を探す男性が、不動産屋に、たまたま案内された家。
それが”呪いの家”。
違和感を感じた時には、既に囚われ、呪われていた・・・。
とあるテレビの心霊番組で受けたタレントの相談に乗るうちに、”呪いの家”へと導かれていく心霊研究家。
他にも、いつの間にか”呪いの家”へと巻き込まれていく人々。
そんな人たちの生き様を映し、過去と現在を行き来しながら物語は紡がれていく・・・。
人の怖さ=霊の怖さ
そもそも『呪怨』とは、”エグいくらいに幽霊が出る”というのがウリの作品だった。
要するに、遊園地のお化け屋敷のようなノリで、視聴者をいかに怖がらせるか? に腐心した作品だった。
しかし本作は、過去のどの『呪怨』よりも”人の怖さ”が強調されているように思う。
しかし、いわゆる”人怖(ヒトコワ)”ではない。
いや、単なる”人怖”では終わらないと言ったほうが良いのかもしれない。
人の持つ狂気性をあらわにしながらも、その影には、しっかりと憎悪とか怨念といった、”見えざるもの”の存在がある。
目には見えない”呪い”の恐ろしさを、生きた人間の狂気という、目に見える形にして表現していると言い換えても良いかもしれない。
悪魔や怪物といった、未知の存在は確かに恐ろしい。
しかし、そういった人間ではない存在が人間をおもちゃにする行為というのは、例えるなら、小さな子どもがアリを踏み潰し、トンボの羽をむしり取るようなものだ。
人間が人間をおもちゃにするという行為は、それらとは全く別物。
牛や豚を切り刻む人より、人を切り刻む人の気持ちのほうが理解できないと感じる方は多いはずである。
理解の範疇を超えたものに、人は恐怖を感じる。
自分と似通ったものは、おそらく自分と似通った感覚を持っていると盲目的に理解したつもりになっている。
つまり、相手が自分と同じ人間であれば、自分とはまるで違う思考回路を持っているとは、実のところ思っていないのだ。大抵の人間は。
だからこそ、自分とはまるで違う人間がいると理解した途端、怖くなる。
その違いを理解できないほどに怖くなる。
そして、怖い人は、死んでもなお、怖い。
お化けの怖さは、人の怖さに比例するのだ。
この作品は、“呪い”というテーマを、人の怖さで表現した作品だと思う。
呪いを記憶した家
本作には、伽耶子も俊雄もいない。
それで『呪怨』を名乗るのか? という意見もわかるが、個人的には全然アリ。
這いずり回るクリーチャーも、猫の声で鳴く白塗りの子供も、ここにはいない。
なのに、怖い。
『リング』の貞子のように、もっと遡れば『13日の金曜日』のジェイソンのように、伽耶子と俊雄ばかりが独り歩きをし、あまりにもシンボリックな存在となりすぎてしまった『呪怨』シリーズ。
「お約束」といえば聞こえは良いが、正直、「マンネリ化」していたというべきだ。
しかし、『呪怨』は初期の頃から、人々の恐怖を煽る共通項を持っていた。
それは”家”である。
「近所でウワサのお化け屋敷」といった、どこの街にもありそうなスポットが必ず舞台になっていた。
そして本作では、その”家”を改めて強調している。
呪いの原因となった事件があり、呪いを発する伽耶子のような存在もいるが、その記憶を抱えて、何十年もひっそりと佇む”家”の怖さを追求している。
タイトルは『呪いの家』だが、正確には『呪いを記憶した家』だろう。
家が呪われている、というよりは、家にこびりついた猛烈な呪いの記憶が、伝播し、連鎖している。
家というのは一度建てたら、何十年もその場の風景となる。
それはまるで、街という森に生えた1本の木のようなもので、その場に存在するということは、木が年輪を重ねるように、その中で暮らす人々の想いが刻まれ、風雪に耐えて建ち続ける家自身の記憶も刻まれていくのだと思う。
本作の舞台となる”家”は、そこにこびりついた猛烈な呪いの記憶を宿している。
まるで食虫植物のように人を呼び、その身に宿した呪いという消化液で、じわりじわりと呪い殺す。
家それ自体が意思を持っているかのような不穏な空気感が漂うが、その禍々しい意思の正体は、あくまでも人の意思である。
“場所の記憶“なんて言葉があるが、これはまさにそれ。
こう書くと、「お化け屋敷の物語」だと思われるかもしれないが、恐怖の正体は、紛れもなく、そこに記憶された人間の狂気だということは、改めて強調しておきたい。
洋画の影響をモロに受けた、びっくり箱のような作品も悪くはないが、日本ならではの怖さというのは、別にあるはずだ。
出るぞ出るぞ、と思わせて、それでもなお、姿を見せない奥ゆかしさ(?)に煽られる恐怖。
それは語りだけで怖さを想像させる”怪談”に通ずるものかもしれない。
そんな見えない怖さというのが、この作品にはある。
現在配信中のシーズン1は全6話。全部視聴しても約3時間ほどの作品だ。
この作品を見るためだけに、Netflixに加入するのも、全然アリである。
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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