【祝・仮面ライダー50周年】石ノ森章太郎とロバート・ジョンソン

特撮ヒーロー番組「仮面ライダー」の第1話がオンエアされたのは1971年4月3日のこと。今から50年も前のことである。

本記事を執筆しているのが2021年4月3日。ちょうど50周年という節目の日だ。

「仮面ライダー」といえば、今や日本人なら知らない人がいないどころでなく、世界にもその名を轟かせる、正真正銘、ヒーローの代名詞である。

しかし、50年前の今日、いずれここまでのビッグネームになると誰が予想していただろうか?

改めて、記念すべき第1話「怪奇蜘蛛男」を見て感じたのは「仮面ライダーの歴史は、ブルーズの歴史のようだ」ということだった。

超個人的な考察ですが、どうぞ最後までお付き合いください。

目次

まるで「ブルーズ」

「ブルーズ」という音楽ジャンルを耳にしたことがない人はいないだろう。日本では「ブルース」と呼ばれることが多いが、英語発音で表記する。

1998年にミッシェルガンエレファントが発表したアルバムのタイトルも『ギヤ・ブルーズ』だった。「G.W.D」や「スモーキン・ビリー」が挿入されていたアルバムで、今聴いても震えるくらいカッコいい。

元々は孤独感や悲しみを表現するブラックミュージックのひとつで、それらの感情が英語で”Blue”に例えられることに由来したネーミングであり、ジャズやロックのルーツミュージックとして知られてもいる。カントリーやソウル、R&Bもブルーズの派生ジャンルである。

さて、「仮面ライダー」の第1話を観てみると、そこには有り余るほどの悲しみが見て取れる。

”世界のピンチを救うため、どこからともなく現れ、カッコ良く変身し、悪党をなぎ倒す正義のヒーロー”なんて華やかなイメージは薄い。

そもそも仮面ライダーとは、悪の組織「ショッカー」の手によって、望まぬ身体に改造されてしまった男の物語だ。

悪党を倒すために特訓を重ねて、やっと手に入れた正義の力ではなく、悪党の悪党による悪党のための力を無理矢理与えられてしまったというだけ。

脳まで改造される前に逃げ出すことに成功した主人公・本郷猛は、改造人間による世界征服を企む「ショッカー」打倒のために、やむなくその力を使っているに過ぎない。

IQ600でスポーツ万能という、世界の頂点に立ってもおかしくない能力を持った青年が、いきなり悪の組織に拉致され、気がついたら身体を勝手に改造されて、バッタの能力を与えられていたのである。もしも脳まで改造されていたら、怪人・バッタ男だったのだ。

しかも自分をショッカーに推薦したのは、緑川博士という生化学研究の権威で恩師。脳改造を施される前に逃げ出すきっかけを与えてくれたのも、悔恨の念に駆られた緑川博士ではあったが、どうにもやるせない。

しかも、緑川博士は逃亡中に怪人・蜘蛛男に暗殺されてしまうのだが、たまたまそのシーンを目撃した娘・ルリ子に「殺人犯」扱いまでされてしまう本郷猛。これ、本当に子供向けの番組ですか? ”悲劇”なんて言葉すら生ぬるい。徹底的にダークだ。

『仮面ライダー』の第1小節は、こうして鳴らされたのである。

メジャーな存在(ウルトラマン)との対比

その後、仮面ライダーには、主演の藤岡弘、さんの不慮の事故がきっかけで登場した仮面ライダー2号を皮切りに、V3、ライダーマン、X、アマゾン、ストロンガー、スカイライダー、スーパー1と、多くのライダーが生み出された。まるでブルーズから様々な音楽ジャンルが派生したように。

デザインモチーフも、バッタに始まり、トカゲやカブトムシ、スズメバチなどバリエーション豊かになった。

それでも根底に流れるのは、改造人間たちの悲哀である。少なくとも、昭和時代のライダーたちには、必ず影がある。

それは、普通の人間ではなく、改造人間というマイノリティゆえの苦悩(まあ、そもそも改造人間をマイノリティと言っていいのかはわからないが、世間一般の枠組みに収まらない人の象徴であることは間違いない)だったり、人々のために戦っているのに、異形だからと恐れられるといった苦悩。そういった苦悩を抱えながら、それでも命がけの戦いを続けるライダーたち。

このあたりは、同時期に盛り上がった『ウルトラマン』とはまるで違う。

『ウルトラマン』は根っからのヒーローである。圧倒的に”メジャー”な存在だ。

命がけで戦っているのはライダーと同じだが、自分が宇宙人であることに苦悩しているわけではないし、宇宙からの侵略者や怪獣から地球を守るヒーローとして、全ての人に認知され、頼られている存在だ。

どちらも正体を明かさないが、その理由の違いもまるで違う。

ウルトラマンは、「正体がバレたらM 78星雲に帰らなければならない」といった、ふわっとした理由があった。何故か? といったところまでは語られていないが、おそらくその真意は、善行はひっそりとやったほうがヒーローっぽいから、である。

しかし、仮面ライダーが正体を明かさないのは、自分が普通の人間ではないことを知られたくないからだ。改造人間になってしまったことを明かすことで、今までとは違った人間関係になってしまうのを恐れているのだとも言える。だからこそ、心を許せるほんの数人の協力者しか知らない秘密となっている。

そんなウルトラマンと仮面ライダーの違いは、わざわざこんな風に考察しなくとも、当時の映像を見比べてみればすぐにわかるはずだ。

試しに、70年代のウルトラマンシリーズと仮面ライダーシリーズを見比べて見て欲しい。

光線技などを多用し、映像的にも派手なウルトラマンは子供にもわかりやすい一方で、同時期の仮面ライダーは、ほぼ肉弾戦だ。飛び道具を使うのは、ストロンガーの”電ショック”とか、その程度のものである。

つまり、圧倒的に仮面ライダーシリーズの方が暗い。そして地味である。

ウルトラマンがエレキギターゴリゴリのハードロックバンドだとしたら、仮面ライダーはアコースティックギター1本で奏でるブルーズである。

わかる人には刺さるが、一般的にはウケない。

マイノリティが変えた歴史

思えば、石ノ森章太郎という作家の作品には、そういうものが多い気がする。

ギネスで、”一人の著者による最も多い漫画の出版記録”を持つほど作品(770作)を残した作家であるにも関わらず、手塚治虫先生の『鉄腕アトム』や『ブラックジャック』、藤子不二雄先生の『ドラえもん』のように、誰でも一度は読んだことがある、といった作品が極端に少ないように思うのだ。

もちろん『サイボーグ009』や『HOTEL』といえば、知っている人は多いだろう。しかし、読んだことがある、という人は極端に少ないはずである。

万人受けしないのだ。別にディスっているわけではない。むしろ個人的には好きな作家である。

ただし、意外と敷居が高く、読者に一定レベルの理解力を求めるようなところがあるのだが、そこを乗り越えた途端に深淵な世界が底なしの輝きを放つ。

『仮面ライダー』もそうだ。

石ノ森先生が考えるヒーロー像がここにはある。それは人並み外れた力を持ち、多くの人は持ち得ない「自分を犠牲にしてでも何かを守りたい」という思考を併せ持つマイノリティである。だからこそ人一倍、苦悩もするのだ。

要するに、ヒーローとは、その存在そのものがマイノリティなのである。決して誰もがなれるものではないのだ。

そんなマイノリティの代表『仮面ライダー』が50周年を迎えてなお、続いていくというのはなんとも興味深い。

ところで、ロバート・ジョンソンという人をご存知だろうか?

「クロスロード(十字路)で悪魔に魂を売り、その見返りにブルーズギターのテクニックを身につけた」と言われる伝説のブルーズ・シンガーであり、多くのミュージシャンに影響を与え、様々な音楽ジャンルを生み出すきっかけとなった人でもある。

アコースティックギター1本でアメリカ大陸を渡り歩いたという、これもマイノリティの塊のような男。

なんだか石ノ森先生とロバート・ジョンソンに同じような匂いを感じてしまうのは私だけだろうか?

ロバート・ジョンソンがアコギ1本で奏でた黒人の哀切の歌が多くのフォロワーを生み、数多の音楽ジャンルを生み出したように、石ノ森章太郎が作り上げた改造人間の哀切の物語が多くのフォロワーを生み、数多のヒーローを生み出したのだ。

もちろん石ノ森先生には、悪魔に魂を売ったなんて噂話は存在しない。

しかし、クロスロードで悪魔に魂を売った代わりに手に入れたのが『仮面ライダー』だったと聞いても驚かないくらいには、凄い存在であることは間違いない。

それは、これから先の50年も、きっと生き残るはずだから。

道がどこまで続くのか、我々には知る術もないが、今はひとまず心から「50周年おめでとう」と伝えたい。

雷堂

それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。

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