ひたすら悲しい映画である。
この映画に登場するのは、悲しい人間ばかり。
そして、目の前の現実から逃げている臆病者ばかりだ。
『凶悪』というタイトルの通り、吐き気を催すほどの悪意を持つ凶悪な人間たちが登場し、弱者を蹂躙する。
しかし、蹂躙する側もされる側も、等しく臆病なのである。
そしてラストシーンでは、それまでただ映画を見ていただけの観客にも、「お前も実は凶悪な本性を隠し持ちながら、その現実から目を背けている臆病者の一人だ」という現実を突きつける。
これは、そんな凶悪な映画である。
”暴力”と”狂気”、そして”歪んだ正義感”
冒頭で「この物語は実在の事件を元にしたフィクションである」というテロップが入る。
そう。これはノンフィクションを基にした作品なのである。
「上申書殺人事件」というのが、その元ネタだ。
調べてみると、事件については、驚くほど事実に即した内容であることがわかる。
こんな、いかにもドラマっぽい出来事が実際に行われていたことに背筋が冷える。
この事件のきっかけとなった須藤純次は元・暴力団組長。演じたのはピエール瀧さん。電気グルーヴの人で、オラフの人でもあるが、本作では迫真の演技で圧倒的な暴力を振るっている。
容赦のない暴力で大勢の人間を死に至らしめていた須藤だが、自分が死刑囚となり、目の前に”死”を突きつけられた途端、その現実から目を背けようとした臆病者である。
その須藤が「先生」と慕っていた、数々の殺人事件の首謀者が木村孝雄。金に執着する不動産ブローカーで、人を人とも思わないサディスティックな男を演じたのは、リリー・フランキーさん。レクター博士のような静かな狂気が印象的だ。
呆れるくらい大胆に殺人を繰り返したこの男も、証拠隠滅に躍起になったり、共犯者である須藤を切ったりと、自分の過去と向き合うことから目を背ける臆病者である。
そして本作の主人公、雑誌「明潮24」の記者・藤井修一を演じたのは山田孝之さん。
木村の犯罪を白日のもとに晒すために奔走し、ついに木村を法廷に引き摺り出した男だが、認知症の母親の介護を妻に丸投げし、「ホームに入れたい」と懇願する妻の言葉を聞きながらも、実の母親をホームに預けるという罪悪感から逃れるために目を逸らし続けるという臆病者だ。
母親の介護に疲れたと嘆く妻に、「死んでいった人たちの魂を救うために取材を続けたい」と訴えた際の池脇千鶴さん演じる妻の言葉が突き刺さる。
「死んでいった人たちなんてどうだっていい。私は、生きてる」
決して目新しいセリフではない。
しかし、重い。
自分の目的のためなら、目の前で苦しみ疲れた家族さえも放置する。
これも凶悪とは言えまいか?
やがて、自らの書いた記事によって木村を逮捕に追い込んだ藤井。その姿はまさに正義の人である。
しかし、キリスト教に入信し、「生きている充足感を感じている」と微笑む須藤に対し、「お前は生きているべきではない」と叫ぶ藤井はどうだろう。
やはり凶悪と言えまいか?
そうしてラスト。
木村と面会した藤井は、無期懲役となった木村に「まだ終わっていない」と言い放つ。
そこで木村は「一つ教えてやる。私を一番殺したいと思っているのは、殺された人でも須藤でもない。」と言って、藤井を2度指差す。
”正義”の名の下に、誰かを弾圧するその人の正義とは、本当に正しいのだろうか?
それが誰かの命を奪う行為であっても?
結局、藤井の中には、木村や須藤と同じ凶悪性があり、それを他人事として眺めている我々観客も、実は同様の凶悪性を持っているのに、その現実から目を背けている臆病者だと示唆しているのだ。
怖いもの見たさで、こんなに凶悪な映画を眺めている我々がいるという現実。
人は誰もが凶悪で臆病な一面を持つ。特別な人だけが持つ性質ではないのだ。
ただ、それを隠して、あるいはそれが存在しないかのように目を背けているだけだ。
本作は、そんなことを静かに訴えかけてくる。
『仮面ライダーBLACK SUN』への期待
先日発表された通り、白石和彌監督は『仮面ライダーBLACK』のリメイク版『仮面ライダーBLACK SUN』を撮ることになった。
そこで、タイトルは知っていたものの、これまで視聴したことのなかった『凶悪』を見てみた次第だ。
最初はとにかくひたすらに胸糞の悪い映画だと思った。
流石にこのテイストで仮面ライダーは撮らないにしろ、どうなるのかと不安にもなった。
しかし、最後まで観た時、少しだけ理解できたし、何よりこの監督の切り口で名作『BLACK』をどう料理するのか楽しみになった。
今はただ期待している。
それではここまでお読みいただきありがとうございました。
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