【考察】『仮面ライダーセイバー』はつまらない? 低評価の理由を探る

雷堂

『仮面ライダーセイバー』は好きですか?

2020年9月〜2021年8月まで放送された令和ライダー第2弾『仮面ライダーセイバー』の評価が低い。めちゃくちゃに低い。

特撮に限らず、テレビ番組のタイトルでググると、「◯%のユーザーがこのテレビ番組を高く評価しました」という項目が表示されることをご存知の方は多いと思うが、試しに『仮面ライダーセイバー』でググってみて欲しい。歴代ライダーダントツの最下位だ。

同じ令和のライダー「ゼロワンよりつまらない」とか、そういうレベルではない。昭和、平成、令和という3つの時代を駆け抜けてきた仮面ライダーシリーズの最低ランクを獲得しているのだ。この数字の信憑性について議論の余地はあるだろうが、1つの指標にはなるだろう。

ちなみにTVシリーズの評価をワースト順で並べると以下のようになる(2021年8月時点)。

歴代ライダーワースト10(数値は高評価の割合。同率は放映年順でランキング)

  1. 仮面ライダーセイバー:81%
  2. 仮面ライダーゴースト:82%
  3. 仮面ライダー:83%
  4. 仮面ライダーX:84%
  5. 仮面ライダーストロンガー:84%
  6. 仮面ライダー(新):84%
  7. 仮面ライダースーパー1:84%
  8. 仮面ライダーV3:86%
  9. 仮面ライダーアマゾン:86%
  10. 仮面ライダー剣:87%

初期の作品がズラッと並んでいるのは、単純に古いからだろう。

そうでなければ、変身ブームを巻き起こし、50年経った今もなお続く人気シリーズの礎となった、初代『仮面ライダー』がワースト3位とか、視聴率歴代ナンバー1の『仮面ライダーV3』(最高視聴率38%!『半沢直樹』かよ? というレベル)がワースト8位に甘んじているはずがない。

また、これは現代の評価であって、当時の視聴者の評価でないことも、こういったランキングとなった一因だろう。数十年前の造形や特撮といった技術面は、今とは比べ物にならないほど稚拙だ。ディスっているわけではなく、当たり前のこと。当時のものを今の目で見たら、そりゃあ香ばしい。田舎のおばあちゃんの家に遊びに行った時に、鼻をくすぐる、あの何とも言えない古臭い匂いに似ている。

それに加えて、昭和の特撮ヒーローは、今よりも間違いなく子供向けに作られていたため、純粋にドラマとして見たら評価は微妙にならざるを得ない。平成以降の特徴でもある、ドラマ重視のつくりと見比べれば、どうしたって評価は低くならざるを得ないだろう。放映当時の基準で正しく判断できるわけがないのだ。

その中にあって『アマゾン』の評価が意外と高いのは、『アマゾンズ』の高評価が影響しているのだろうと思われる。物語だけ見ると、『アマゾンズ』には『アマゾン』の面影すらない。どこか『東京喰種』を彷彿とさせるような設定ではあるが、脚本家・小林靖子さんによる丁寧なストーリーテリングと、ニチアサでは到底放送できないような残酷さも伴う演出によって、非常に魅力的な作品になっていた。

さらに、当時と基本的なデザインは変えずにブラッシュアップしただけのアマゾンアルファで、今でも十分戦えるデザインであることを証明して見せたことも大きい。確かにこれを観たら『アマゾン』も観たくなることは間違いない。実際に観てみると、全くの別物ではあるのだが、他のライダーとはまるで違う作風に惹かれる人も多いことは間違いない。

平成以降の作品は、その大半が90%以上の高評価を叩き出している中で、『セイバー』と『ゴースト』がワースト1&2となってしまっているのは印象的だ。しかも、これらは昭和ライダーと異なり、最近の作品だというのにだ。

『セイバー』については、本記事執筆時点では放送中だったので、ひょっとしたら最後には印象が変わるかな? と淡い期待を抱いたが、結局、最終回まで視聴しても基本的な感想は何ひとつ変わらなかった。

注目すべきはワースト1位と2位のどちらも、メインライターが福田卓郎さんであることだ。制作現場はチームなので、誰か1人に責任があるとは思わないが、ライダーシリーズとの相性は、あまり良くないのかも知れない。

ここで『ゴースト』について触れることはしないが、『セイバー』はとにかく「見せ方」に問題があった作品だ。素材も料理も悪くないのに、盛り付け方のセンスが壊滅的だったために評価を落とした作品と言い換えても良いかもしれない。

本記事では、その気になる「見せ方」について、私なりの考察を記してみたい。

目次

異世界モノのはずなのに・・・

放送開始前に“異世界で戦う多人数ライダー“という設定が公表されたときには『龍騎』や『鎧武』といった過去作を想起しただけで、特に目新しさや違和感は感じなかったのだが、その説明からは“異世界でも戦う“というより、ラノベ人気作の影響を受けたような異世界モノであることを強調しているように思えた。だとしたら、新しい。

ところが、異世界モノと強調していたわりに、それほど異世界が舞台となることはなかった。物語の中で重要な要素ではあるけれど、劇中では、戦いの舞台として登場するくらいのものである。昔懐かしい『宇宙刑事ギャバン』における「マクー空間」程度の扱いだ。

それなりに異世界を絡めようとはしているけれど、どうもこちらが期待していたほどの異世界感は得られていない。あえて「異世界モノ」と名乗ったわりには・・・という感覚が強いのだ。

個人的には取り立てて「異世界モノ」に興味はないし、仮面ライダーは現実世界で戦うモノだという認識が強いので別に問題ないのだが、人気ラノベなどを通ってきた人たちは「異世界モノの仮面ライダー」という新たな試みに惹かれた部分もあったのではないかと思う。では、その需要を満たせているか? と問われれば、答えは「ノー」だろう。

おそらく誰もが、ライダー過去作に登場した異世界モノとは別次元の異世界バトルを期待していたはずだ。実際、そうやって煽っていたところもあるし、最初期の物語は、そうあろうとしていたようにも思う。

しかし、回を追うごとに、過去作同様の“現実世界に侵食してくる異世界”程度でしかなくなっていった。登場人物の服装は独特だが、コスプレと変わらないし、そもそも異世界の住人ではない、というところにも違和感があった。

要するに、最初に期待させすぎたのだ。普通に「今度のライダーは聖剣と本の力で戦います!」と言っておけば、ここまでの“コレじゃない感”は生まれなかったはずだ。

とりあえずシャボン玉飛ばしとけ、といった演出や、修練場リベラシオンやアヴァロンといった重要そうな場所を登場させておきながら、何もない空間で一人芝居(苦悶の声を上げながら転げ回るだけだったりもする)をさせるだけでは、誰が考えても物足りない。

背景の見えない登場人物たち

「ライダーが10人以上登場する」という公式発表のとおり、スタート直後は毎回のように新たなライダーが登場した。

主人公である炎の剣士・セイバーに始まり、水の剣士・ブレイズ、土の剣士・バスター、雷の剣士・エスパーダ、風の剣士・剣斬、音の剣士・スラッシュ、闇の剣士・カリバーと、第10章までに登場したライダーは7人を数える。

しかし、これだけ登場しているのに、とにかく印象が薄い。誰のこともよくわからない。闇の剣士・カリバーは謎めいていて当然ではあるが、問題は他のライダーたちだ。

主人公である神山飛羽真は、小説家で本屋の主。過去に大きな厄災に出会っており、その時の記憶がない。なぜかずっと手元にあったブレイブドラゴンのワンダーライドブックがトリガーとなり、仮面ライダーセイバーに変身する…これだけ読んでも、人物像がさっぱりわからないのだが、他の剣士たちはもっとわからない。

「普通のホモサピエンス」が口癖のクソ真面目・倫太郎。子連れの豪快な中年男・尾上。飛羽真の幼なじみ・賢人。見た目は大人、頭脳は子ども・蓮。人見知りの激しすぎる刀鍛冶・大秦寺。

個性はあるが、人物像がまるで見えないキャラクターたちは、まるで『BLEACH』だ。

そもそも、主人公の飛羽真は「文豪にして剣豪」という設定だったはずだが、剣は素人だし、文豪に関しては売れっ子小説家という設定のみ。私はこの設定を初めて目にしたとき、『侍戦隊シンケンジャー』のように、文字を書くように剣を振ることで変身するとか、何か特殊な攻撃ができるといった設定を想像したのだが、そういったことはまるでなかった。

その後もキャラクター個別の掘り下げはほとんどないため、結局、なんだかわからない。家族構成は? とか、そもそもどういう経緯で剣士になったのか? といった各キャラクターのバックボーンはほとんど語られず、唐突に、実は師匠がいた、などと言われても、どうもピンと来ない。共感できる情報があまりにも少ないからだ。

さすがにこれではマズいと思ったのか、動画配信サービス「TELASA」で『剣士列伝』という各剣士のスピンオフが配信されたが、これもまた内容が薄い。本編の補足程度でしかなく、各剣士を掘り下げるほどの内容にはなっていない。それでいて、視聴するには「TELASA」に加入するしかない。つまり有料である。ディオでなくとも「無駄無駄ァ!」と叫びたくなる。

子連れの尾上の過去については、「TTFC(東映特撮ファンクラブ)」で配信されているマンガに描かれているのだが、これもコアなファン向けであり、単なる視聴者には届かない。

そもそもマンガを読みたくなるほど尾上が魅力的な人物なのかも疑問であるが、このマンガによれば、尾上が剣士になるきっかけは高校時代に遡る。なんとも中途半端な時期である。小学生くらいなら、子役も用意できるだろうが、高校生といえば、まあまあ大人である。代役を立てると微妙になってしまうが、まさかアラフォーの生島さんに学生服を着させるわけにもいかないだろうから、実写での再現は難しいだろう。

しかし、こういうエピソードゼロ的な話があって、ようやく視聴者はキャラクターに感情を寄せられるのだと思うが、何故だかそういう配慮はゼロ。

これだけ登場人物がいるのに、セオリーどおりの群像劇に仕立てない理由が理解できない。明らかにディレクションのミスだと思う。

情報過多、早すぎる展開

こういったキャラクターごとの掘り下げができない理由の一つは、『セイバー』の展開の早さだ。

他の仮面ライダーシリーズのどの作品よりも内容が詰まっている、とも言えるが、詰め込みすぎと言い換えた方がしっくりくる。

大きく展開の変わるポイントに向けて、物語の進展はほとんどなく、襲いかかってくる敵を倒し続けるだけ、といったことがない。それを「中だるみ」と捉える人もいるだろうが、私は「必要な余白」だと思う。そういったところに、ちょこちょこと情報をまぶしていくことで生まれる深みもある。

ところが『セイバー』は、だいたい毎回、新しい展開が待っていた。

第10章までに7人ものライダーが登場。

第7章にして「アヴァロン」という、ファンタジーでは超重要っぽい場所が登場したが、砂丘と、光に包まれた空間という手抜き演出で2話で消化。

「キングオブアーサー」という、究極の力として登場してもおかしくないようなものが、巨大ロボットとして登場したと思ったら、その後は目立った活躍もなく物語が粛々と進んでいくという奇妙さ。

初回から巨悪の雰囲気を漂わせていた仮面ライダーカリバーは、1クールちょっと(15章)で一旦退場。

闇の聖剣と共に生まれた光の聖剣という究極的な存在は、16章から登場して順当に脇役を務めあげている。

何冊もあるように言われていた禁書は、「プリミティブドラゴン」1冊しかまともに登場せず。

人造人間を創る本の存在が仄めかされ、誰もが何か大きなことが起こると期待したにも関わらず、そこから生み出された人造人間が登場直後にカリュブディスに食われて終わりという、目を疑う展開。

短編映画でラスボスを務めた不死鳥の剣士は、本編にまで出張ってきたのに、あっという間に消滅。不死鳥なのに。

マスターロゴスの名を捨て、本名までカミングアウトした男は、ほんの数話で抹殺される。メギドと手を組んだ理由もよくわからない。

そして、当初から存在していた悪役の一人が全知全能の力を手に入れ、最後の戦いが始まる・・・。

これだけ書いてもお腹いっぱいなのに、実は端折っている部分がまだまだあるのは、視聴者ならおわかりのはずだ。

『セイバー』が1年半から2年をかけて放送される番組だったなら良かったのだと思うが、明らかに分量をミスっている。

ジェットコースターのようだと言えば、聞こえはいいが、展開の早さばかりを追求し、ひとつひとつの要素を掘り下げないために、情報量ばかりが多く薄っぺらい物語に成り下がってしまった感がある。大した盛り上がりもない。

例えれば、『ワンピース』の原作を3分の1程度に切り詰めてアニメ化したようなものだ。それも各キャラクターを掘り下げるエピソードばかりを厳選してカット。物語は良いのに、魅力がない。というか、よくわからない。

凄そうなキャラやアイテムが、数話ごとに入れ替わり立ち替わり登場し、いつの間にか消えている。スタッフにさえ忘れられているのかもしれない。

落ち着きがないというか、腹に落ちる前に次が来る感じは「わんこそば」のようだ。

しかも、ただのそばではなく、めちゃくちゃ手の込んだそばなのに、味わう前に飲み込まなければならないため、その良さがほとんど理解できないというムダ仕様。ジョルノでなくとも「無駄無駄ァ!」と叫びたくなる。

カリスマ性のない悪役

英雄譚を語る上で、悪役の存在は欠かせない。それもとびきり魅力的なヤツがいい。

しかし、残念ながら『セイバー』にはいない。

ストリウスに魅力がないと言っているのではない。実は虎視眈々と、大いなる力を手に入れるために暗躍していたという設定は悪くない。目的のためにはレジエルやズオスといった仲間だけでなく、マスターロゴスまで手のひらの上で転がしていたというのは、なかなかのワルだ。

しかし、カリスマ性がない。ただのコスずるい小悪党にしか見えない。

私が仮面ライダーシリーズでベストだと思っているのは『仮面ライダーW』だが、その理由の一つに、寺田 農さんが演じる園咲琉兵衛の圧倒的な存在感がある。

役者さんの演技力やキャリアの差はもちろんあるが、それだけが理由では絶対にない。悪者感というか、“悪の華”といったものが終始一貫して見えるかどうかというのは非常に大きい。そして、ストリウスには残念ながらそれがない。いや、あるのかも知れないが、そうは見えなかった。

サプライズ多すぎ問題

それに、『セイバー』には起承転結でいうところの「転」が多かった。多すぎた。どんでん返しが悪いわけではない。しかし、視聴者を飽きさせないための小手先のテクニックという感じがどうしても否めなかった。

往年の名作ADV『ポートピア連続殺人事件』を例に挙げるまでもなく、どんでん返しなんてものは、何度もあればいいというものではない。どれだけ印象に残るか、そして、それを見た人たちが、そのどんでん返しの理由にうなずけるかどうかが重要だろう。

『ポートピア』をプレイしたことのある方ならうなずいてもらえると思うが、共に捜査してきた部下のヤスが犯人だとわかったときに感じたのは、違和感ではなかったはずだ。確かに驚きはしたが、思い返してみると、矛盾はないし、布石もあったと納得できたはずだ。

意外ではあっても、そうなった理由に納得がいくものでなければ、かえって陳腐なイメージが残ってしまうのは、ゲームやドラマといった創作物だけではない。

以前、とある結婚式の二次会で、新郎から新婦へ何度もサプライズが贈られたことがあった。最初は来賓も幸せいっぱいの二人を心から祝福していたが、さすがにサプライズが3度目を迎える頃には、ちょっと白けたムードになっていた。わざわざサプライズにする理由がわからなかったのだ。目が慣れたというのもあるとは思う。要するに飽きたのだ。

『セイバー』からは同じような匂いがする。いつの間にか脚本家の手のひらで踊らされていたことに気づいたなら、視聴者は苦笑しながらも「やられた」と騙されていたことに快感を覚えるものだ。

しかし、『セイバー』でそう感じられるサプライズは、最初の頃(最初の頃は、視聴者側から騙されに行くところがある。騙されたいと思っていると言い換えてもいいかもしれない)を除いて、ほとんどなかったと言って良い。

しかも、何事かが起き、これから盛り上がりそうだぞ…というタイミングで、話がコロッとひっくり返される。驚くよりもずっこけた。

開始早々のゴシップ

もうひとつ、これが結構大きかったように思うのは、キャストのゴシップである。

主演の内藤秀一郎さんは、放映開始直後にいわゆる“文春砲”の洗礼を受け、YouTuberの彼女がいることが発覚してしまう。

年頃の男性なのだから、そんなの普通だろ? とも思ったが、今のヒーローたちは、女性にとってのアイドル的な役割も果たさなくてはならないらしい。スキャンダルなど、ご法度ということである。

さらに追い討ちをかけるように、パチンコ屋通いをしているとか、共演者である青木 瞭さんと駐車場で喫煙しているところなどを撮られてしまう。

先輩ライダーたちが、私生活にまで万全の注意を払っていたのとは大違い。Twitterでもやらかしていた。

本記事では、『セイバー』が「つまらない」とされる理由について色々と書き連ねてきたが、実はこのゴシップこそが、世間の評価を下げた最大の理由ではないかと思う。

「ヒーローは清廉潔白であるべき」というのは、「アイドルはトイレに行かない」ってくらいリアリティのない幻想だと思うが、だとしても、今回は異例中の異例である。「パチンコ通いするヒモ」みたいな言われ方にはメディアの悪意も見え隠れするが、子供たちの夢も、女性たちの淡い恋心も、全てを台無しにするくらいの破壊力があったのは確か。

実際、その後の『セイバー』に関する感想などをネットで見かけても、作品自体への感想だけではなく、キャスト個人への拭いきれない悪いイメージがついて回っている印象を受けた。

みんなが初めから色眼鏡で見ているのだ。「また何かやらかすに違いない」「こんなキャストだからつまらない」という悪意と根拠のない低評価は、絶対にゼロではない。

新たな挑戦に満ちた意欲作

画像引用元:仮面ライダーセイバー

こんな記事を書くと、単に『セイバー』をディスっているように見えるかも知れない。しかし実際には、世間の低評価の声を憂い、その理由を自分なりに解き明かしたくて書き始めたのが本記事なのである。

なんと言っても、『セイバー』は世界に、世間に対して堂々と挑戦した作品である。

仮面ライダー50周年というメモリアルイヤーを目前に控えたタイミングで襲いかかってきたコロナウイルスという新たな脅威。そんな中でもシリーズの火を絶やさぬためにできることに挑戦し、どうしたってマンネリ化してしまう長年続くシリーズものを、いかに目新しく見せるかに挑戦した意欲作と言っても良い。

しかし現実的には、その挑戦は失敗に終わったかに見える。こうして見返してみると、評価が低くなる理由も理解できる。それでも、この失敗は今後に繋がる大きな経験となったはずである。

そもそも「つまらない」とか「玩具が売れない」などと散々言われて辛い想いをしていても、頑張って役を演じ続けてきたキャストさんたちに罪はない。スタッフさんたちに責任の一端はあるだろうが、それだって上述した未曾有の脅威の中で、暗中模索しながら進んできた結果である。

本当に多くの人たちが、こうしてシリーズを繋いでくれているのは、人気シリーズだからやめられないというだけではないはずだ。制作者たちの「繋いでいこう」という強く熱い意志があるからだろう。

その想いに応えるためにも、微力ながら応援し続けたいと思っているし、何より、私自身が勇気をもらってきたヒーローの火が消えて欲しくはない。

いつまでも子供たちの憧れであり、大人たちの心も揺さぶる、そんなヒーローの系譜が続いてくれることを心から願っている。

雷堂

それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。

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