【最終回】ベタの天才|『ウルトラマンデッカー』第25話感想

雷堂

2023年1月21日放送『ウルトラマンデッカー』第25話「彼方の光」(監督:武居正能 脚本:根元歳三)をレビュー

正気を取り戻したアガムスとウルトラマンデッカーが三本のスフィアオベリスクを破壊し、ようやく宇宙との通信が回復したと喜んだのも束の間。

謎の存在・スフィアの親玉・マザースフィアザウルスが地球に降り立ち、アガムスもウルトラマンデッカーも、さらには偶然マザースフィアザウルスに遭遇したウルトラマントリガーまでもが倒されてしまった。

この事態に、人々は地下シェルターでの避難生活を強いられ、スフィアによる地球滅亡までのカウントダウンは止まらない。ナースデッセイ号は動かず、隊員たちも負傷続きというGUTS-SELECTの面々は、この苦境にどのように立ち向かうのか?

いよいよ最終回。

ネタバレも含むが、最後までおつきあいいただければ幸いだ。

※本記事内で使用している画像は、特記のないものは全て『ウルトラマンデッカー』より引用している。

目次

最後の作戦

前回のラストでウルトラDフラッシャーが砕け散ったカナタ。

アスミ カナタ

松本大輝

変身アイテムが無いのだから、当然、変身などできるはずもない。

だが、論理とか理屈を、希望とか友情といったよくわからない屁理屈でぶち壊すのがヒーローだ(褒め言葉)。マザースフィアザウルスを倒すため、リュウモンを中心に考案された作戦というのが、まさにこのヒーローの流儀に従った、一か八かの力技だった。

リュウモン ソウマ

大地伸永

生前のアガムスが語っていた「マザーには弱点がある」という言葉に従って検証した結果、マザースフィアザウルスの胸で点滅を繰り返すコアがそうであると、アガムスの遺したフェイズライザーに記録されていたことがわかる。最大の弱点がわざわざ体外に剥き出しになっていることには違和感を感じるが、わかりやすくて良いとは思う。ひょっとしたら、このコアは体内に溜まった熱を放出するための機関であるとか、剥き出しでなければならない理由があるのかもしれない。

このコアからエネルギーを抽出し、それを光に変えてデッカーへ照射。それによって蘇ったデッカーによりマザーを撃破というのが、リュウモンたちの作戦である。

この提案を受けて、「今の科学で可能なのですか?」と問いかけるムラホシ隊長に、「無理です。しかし、ウルトラマンなら・・・」と、あくまでウルトラマン頼みの姿勢を示すリュウモン。

ムラホシ タイジ

黄川田雅哉

これに対し、「ウルトラマンとどうやって作戦を共有するのか?」とムラホシが疑問を呈したところで、「俺がウルトラマンデッカーです」と、満を持して告白するカナタ。

「何を言ってるの?」と、露骨に驚くカイザキ副隊長。そりゃあそうだろう。

カイザキ サワ

宮澤佐江

だが、ムラホシも驚いてはいるが、カナタの目をじっと見つめ、その言葉を信じる。固い信頼関係がよくわかる良いシーンだ。作中、ムラホシがリュウモンを「見つめる天才」と評する場面が登場するが、ムラホシにこそ、その名はふさわしいと思う。

しかし、それでは早速、作戦開始!とはならない。カナタの身体がスフィアに侵されており、命の危機に晒されていたからだ。その身を案じるイチカが、待ったをかける。

キリノ イチカ

村山優香

これまで、たった1人で戦い、傷つき、苦悩してきたカナタを想い、「どうして言ってくれなかったの?」と涙声で語りかけるイチカに、「1人だなんて思ったことがない」と、仲間たちに対する想いを口にするカナタ。

さらに、「仲間だから、心配させたくなかったんじゃない?」とカイザキが助け舟を出すシーンは、ベッタベタな展開だが、だからこそ良い。

物語なんてものはシェイクスピアの時代には書き尽くされたという話もある。既視感などあって当然。それよりも、登場人物の想いがきちんとこちらに伝わることが大切なのだ。ベタ万歳。

ついでに、もう1人のキーパーソンとなるウルトラマントリガーの正体がマナカ ケンゴであることも明かされる。いいのか? とも思うが、これからGUTS-SELECT全員による命懸けの最終作戦が開始されるのだ。その作戦に不確定要素を残したままで、命を賭けることはできないだろう。

マナカ ケンゴ

寺坂頼我

最終決戦を前にしても、いつもの明るいノリを見せる5人の姿が頼もしい。

ケンゴの決め台詞「スマイル、スマイル」で和む隊員たち

この姿を見れば、理不尽な作戦もどうにかなりそうな気がしてくる。

MOTHER

ただし、理不尽な力を発揮するのはGUTS-SELECTばかりではない。

マザースフィアザウルスもまた、これ以上ないほど理不尽だ。

そもそも、既に誰も触れることができなくなったはずの古代の超エネルギー・エタニティコアにアクセスできていることからして理不尽。

作中では、以前、スフィアメガロゾーアがトリガーと戦った際にエタニティコアの存在に気づいたスフィアが、その後、月の基地でケンゴの記憶を奪ったことで、エタニティコアという存在を認識したと語られている。ここまでならまだしも、現在、エタニティコアに施された封印をものともせずアクセスできているのは、時空を超える力を使っているらしい。確かにそういった能力を持っていることは、これまでになんとなく描かれてきたので、布石は打ってあったと言えなくもないが、それでもやはり、その力が理不尽であることには変わりない。

そんな理不尽な力に、理不尽な作戦で突撃するGUTS-SELECTの隊員たち。

まずはトリガーに変身して、マザーのコアからエネルギーを奪い取るケンゴ。

その力を光に変換してカナタへと放つ。すると、前回砕け散ったはずのウルトラDフラッシャーが蘇り、カナタはデッカーへと変身を完了する。マザーへと飛びかかるように空中で変身するカナタの姿は、まさに集大成。この姿を見るだけで胸が熱くなる。

カナタ、最後の変身シーン

ただし、予想に反して、トリガーとの共闘はない。デッカーが蘇った様子を確認したケンゴは、他の隊員たちと共にデッカーの援護に回る。

しかし、マザーの力は絶望的なほどに圧倒的だ。周囲にスフィアを撒き散らし、人々を飲み込んでしまう。

飲み込まれた人々に、まるで母親のような優しい声で語りかけるマザー。凶悪な見た目からは想像もつかない。

「全てをひとつに」というマザーの意志は、宇宙に存在する数多の魂を一つに融合しようとする。個があるから苦悩するというのは、間違いなく正しいだろう。この世界にある憎しみや嫉妬といった感情は、個々の違いから生まれているのだ。

この手の思想は、これまで本当に多くの作品で使い古されてきたものだ。『エヴァンゲリオン』などはその代表格だが、神とか魂といった概念について調べていくと、大概、最後はここに辿り着くといった印象がある。そう考えると、マザーの正体は限りなく神に近い存在なのかもしれない。

しかし、違うからこそ生まれる感情もある。自分とは違う誰かを尊敬したり、憧れたりするのもそうだろう。時には他人を見て、同じようにはなりたくないと自らを顧みることだって、違うからこそ生まれるものだろう。結婚生活などは、まさに自分とは違う誰かだから続けられる、といった側面もある。

飲み込まれたGUTS -SELECTのメンバーは、誰一人その安楽の世界に身を置くことを良しとはしない。大いなる意思の下で眠るように生きていくよりも、つまずいても、失敗を繰り返しても、自分の足で一歩ずつ進み続ける道を選ぼうとする。それぞれの可能性を追求する。それはひょっとしたら彼らのエゴかもしれない。安穏な世界で眠り続けたい人々も少なくはないかもしれない。だが、それは同時に彼らのこれからの覚悟を示す選択でもあるのだ。背中合わせの困難と歩み続けていく覚悟。そしてこれからもGUTS-SELECTの一員として、人々のために命をかけていく覚悟。だからこれは、単なるわがままなどでは決してない。偶然、ウルトラマンとしての宿命を背負ってしまったカナタだけでなく、他の4人+1体のA.Iも紛うことなきヒーローであることの証だ。

ハネジロー

(声)土田 大

全員が心を一つにしてマザーに立ち向かう。ここで満を持して流れ出すオープニングテーマ「Wake up Decker!」がこの上もなくテンションをぶち上げてくれる。ベッタベタのベタだが、それが良い。最高ですか? 最高です!

みんなの想いを乗せた必殺のセルジェンド光線がマザーのコアを貫く。長かったスフィアとの戦いに幕が降りた瞬間である。

喜びを爆発させる隊員たち。「一緒に戦えて良かった」と口にするムラホシの目に浮かぶ涙にグッとくる。

ラストは、スフィアバリアからようやく解放された地球に、多くの宇宙船が帰還するシーンで幕を閉じる。冷静に考えれば、タイミングが良すぎるけれど、そんな細かいことはどうでも良いのだ。空に向かって手をふる人々。そして笑顔の隊員たちの姿から、これからあちこちで巻き起こる歓喜のシーンが容易に想像できる。両親とカナタが再会するシーンは、ついに描かれなかったけれど、これで良かったのだと思う。最後は視聴者の想像力に委ねられたのだ。

終わらないウルトラの道

こうして、2022年7月から放送開始された『ウルトラマンデッカー』もついに最終回を迎えた。

あまりにも少数すぎる精鋭部隊といった設定や、放送前に「オリジナル怪獣を出します!」と鼻息が荒かった割に、そのオリジナルと目される怪獣のほとんどがスフィアと融合したお馴染みの怪獣ばかりだったりとツッコミどころも多かったし、なんだか最後になってバタバタと無理矢理に物語を片付けたような印象も残るけれど、終わってみれば、後味はかなり爽やかである。

『ウルトラマンダイナ』の25周年に合わせて放送された作品だったので、デザインなどには『ダイナ』らしさは見え隠れするものの、不自然さを感じなかったのは、その配合の塩梅が良かったのだろう。二番煎じをするくらいなら、元の作品をリメイクするか、もしくは再放送でもすれば良いのだ。寄せすぎなかったことには好感しかない。

ただし、以前のレビューにも書いたが、高々2クール(半年)ほどの作品で3回もの特別総集編が用意されたことは謎でしかない(実はもう1話、特別総集編とは名乗っていないが、総集編ライクなエピソードもあったので合計4回)。

総集編とはいえ、よくあるこれまでのダイジェストシーンの繋ぎ合わせに止まらず、前作『ウルトラマントリガー』の登場人物による二人芝居という形式を取るなど、懐かしさも感じられるのだが、1クール終わったところで1回あれば十分だったのではないか。話の腰を折られるのもイヤだったし、何度も繰り返されると流石に飽きる。何より、その分を1エピソードとして割り振っていれば、もっと深くドラマを描けたのではないかと思ってしまうのだ。

先述した通り、全体的には悪くなかったのだが、アガムスの件にしろ、スフィアとの決着にしろ、最後に無理矢理帳尻を合わせたような印象は拭えない。先日、完結した人気マンガ『東京リベンジャーズ』のラストみたいだ。ハッピーエンドは良しとしても、打ち切りにでもなったのか? と疑ってしまいたくなるような終わり方だった。『デッカー』も、どこかそういう匂いを感じてしまう。

ただし『デッカー』は、かなり早い段階で撮影を終えていたようなので、放送回数も当初から予定されていた通りだとは思うが、ちょっとした違和感は残っている、というのが正直なところだ。

2月には映画も公開される『デッカー』。これによって、作品としては一応の区切りがつく形となる。

だが、これで終わりではないだろう。本作の虜となった人たちが、本作で感じた胸の高鳴りを忘れない限り、『デッカー』が消えることはない。現に、ウルトラシリーズは、こうしてこれまで紡がれてきたのだ。

ウルトラの道は、まだまだ終わらない。

雷堂

それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。

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