”ゲネシスドライバー”が完成する少し前。ユグドラシル・コーポレーション内で起こった自爆テロ。
その背後には「黒の菩提樹」を名乗るカルト集団と、ひとりの男の名前が浮かび上がる。
マッドサイエンティスト・戦極凌馬を主役に据えた鎧武外伝『仮面ライダーデューク』をレビュー。細かなストーリー展開よりも、3つの見どころに絞ってご紹介する。
どうぞ、最後までお付き合いください。
スタッフ・キャスト
まずは主要スタッフとキャストをご紹介します。
ウィキペディアに記載のある方はリンクを貼っておくので、是非、他の参加作品もチェックしてみてください。
【スタッフ】
監督:金田 治
脚本:鋼屋ジン
アクション監督:竹田道弘
音楽:山下康介
【キャスト】
戦極凌馬(センゴク リョウマ)/仮面ライダーデューク:青木玄徳
呉島貴虎(クレシマ タカトラ)/仮面ライダー斬月:久保田悠来
湊 耀子(ミナト ヨウコ)/仮面ライダーマリカ:佃井 皆美
シド/仮面ライダーシグルド:波岡一喜
狗道供界(クドウ クガイ)/仮面ライダーセイヴァー:鳥羽 潤
【スーツアクター】
仮面ライダーデューク:富永研司
仮面ライダー斬月:渡辺 淳
仮面ライダーセイヴァー:藤井祐伍
仮面ライダーシグルド:佐藤太輔
見どころ① 馴れ初め
本作では、凌馬と今では縁の深い人たちが出会った頃のことが描かれている。
これを知らずとも、それぞれのキャラクターへの印象は変わらないが、それでもこれを知ることで、より理解が深まるという、スピンオフの正しいあり方を示してくれる、お手本のような作品である。
呉島貴虎
ユグドラシル・コーポレーションの重役・呉島天樹(クレシマ アマギ)の息子で、ヘルヘイム対策を指揮する男。
凌馬の論文に感銘を受けたことがきっかけで、良き理解者として、凌馬に一目置かれる事になる。
湊 耀子
凌馬の秘書で、ボディガードも務めている。
産業スパイとして、研究室に忍び込んだところを凌馬に見つかったのが二人の出会い。
瞬時にして自分の本質(他人の情熱に心を惹かれる)を見抜かれ、「世界の王が生まれる様を見届けたくはないか?」という殺し文句で、凌馬の元で働くことになる。
シド
錠前ディーラー。
元々は違法薬物の売人だったが、突如現れたインベスの襲撃を受け、逃げ延びた先で出会ったのが凌馬。
「誰にもデカい顔はさせねえ」と息巻く中、「力が欲しいなら私の元へおいでよ」と誘われ、凌馬の協力者となった。
狗道供界
本作で初登場のキャラ。
現在はカルト集団「黒の菩提樹」の教祖だが、元々はユグドラシル研究部門の責任者だった男。つまり、凌馬の前任者。
凌馬が製作した「禁断のリンゴロックシード」の起動実験で被験者となった。
その際に起こった暴走事故で命を落としたと思われていたのだが、肉体は失ったものの、精神エネルギー体となって存在し続けており、自らが神となって世界を救済しようと目論んでいる。
それにしても「黒の菩提樹」とはなんともカッコいいネーミングである。
コブラを模したシンボルマークも厨二病を刺激する。
見どころ② 仮面ライダーセイヴァー登場
新ライダーとして、「仮面ライダーセイヴァー」が登場する(※「セイバー」ではない)。
狗道供界が”ザクロ”と”ブラッドオレンジ”の2つのロックシードを使って変身する。
武器は「大橙丸」と「セイヴァーアロー」。
弓を扱うデュークと、剣を扱う斬月と戦うために、こういった武器の選択になったのだろうか?
変身時の音声は「ブラッドザクロアームズ!狂い咲き サクリファイス!」。
斬月に斬り倒され、デュークには力(ドライバーの性能)で押し負けていることから、変身者である供界がエネルギー体であることだけが厄介で、戦闘力自体は図抜けたものではなさそうだ。
見どころ③ 他人に己を委ねる危うさ
本作では、「黒の菩提樹」と名乗るカルト集団の信者たちが、供界の指示に従い、自爆テロを起こしている。
虚ろな目をして爆弾(ロックシード)のスイッチを躊躇なく押す信者たち。
これ自体は、供界によって信者に配られたロックシードが、所有者をトランス状態にする効力を持っているからなのだが、これと似たような出来事は現実にも起こっている。
”神のために自らの命を捧げる”・・・これだけなら、美しい自己犠牲にも見えるが、実際はそうではない。
自らの命に加え、他者の命をも同時に奪う。それがテロだ。
そこには、神の名を騙る権力者がいて、自分の利益のために他者を洗脳し、利用しているのだ。
人生は迷うことの連続である。どうしたらいいのかわからない。そんな時に、この人の言うことは絶対だと思える存在がいたとしたら、どれだけ心が救われるだろう。どれだけ生きやすくなるだろう。
その存在が神なのか教祖なのか、もしくは親兄弟や友人や恋人かもしれないが、そんな存在に出会えることは幸せなのだろうか?
迷うからこそ、見つかる喜びもあると思うのだ。
言われるがままに進むことで難を避けられたから全て良しというわけではないだろう。
迷い込んだ茨の道で、思いがけないものを見つけることは少なくない。そんな経験の一つや二つ、誰にだってあるはずだ。
そして、信じる人の意見に異を唱えることだって大切なことだ。全く同じ人間など存在しない世界で、異論を認めないというのは危険なことだ。
本作は、そういった行為に対するアンチテーゼを、カルト教団の信者たちを例に示しているように見えるが、実は、それと同時に、凌馬たちの関係においても、同様の危うさを描いているように見える。
自分を認めてくれた貴虎に”同じビジョン”を求める凌馬。
凌馬が世界の王を誕生させてくれることを期待してやまない湊。
そして、自らの評価を他人に委ねるシドは、自らが無能ではないと信じたいが故に、弱者を見下し、凌馬の見え透いたお世辞にニヤける。
貴虎だけは、自らの頭で考え、自らの足で立っているところが窺えるが、他の3人は十分に危うい。
他人に己を委ねる危うさは、中島みゆきの名曲『宙船』を例に出すまでもなく、とても危険で愚かな行為だが、本作でもひっそりと、同様のテーマが描かれているように見える。
バナナロックシードの行方は『ナックル』で
凌馬との一騎討ちに敗れたと思われた供界だったが、エネルギー体だからなのか、ラストシーンでもう一度その姿を現す。
同時配信されている『仮面ライダーナックル』の悪役・シュラに「バナナロックシード」を手渡すのである。
本来、駆紋戒斗(クモン カイト)が持っているはずのロックシードであっただけに、『ナックル』は『鎧武』本編よりも後の物語であることがわかる。
『ナックル』のレビューは、また別記事にまとめるが、こちらもとても面白いので、まだ見ていないという方は是非ご覧いただきたい。
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。