『仮面ライダークウガ』・ライダー史に残る特異点【ネタバレ】

『仮面ライダーBLACK RX』以降途絶えていた「仮面ライダー」TVシリーズは、2000年に『仮面ライダークウガ』として復活を遂げた。

昭和の遺物として見られ、”オワコン”感の強かった「仮面ライダー」が、再び注目を集め、日本のヒーローの代名詞となったのは、この作品があったからだ。

こういったブログを書いていると、「どの作品が好き?」という質問をよくされるのだが、これが結構難しい。一応、コレという作品はあるのだが、その時の気分だったり、再視聴したばかりの作品に心を動かされたりすることも多く、不動の1位とはとても言えなくて、いつも「暫定1位」という言い方になってしまう。

しかし、「『仮面ライダー』はどの作品から観るべき?」という質問には、迷いなく答えられる。

それが『仮面ライダークウガ』である。

では、これがベストの作品か? と問われると、自分の中では違うし、これがコンテンツとして最高のものか? という問いにも、素直には頷けない。

じゃあ、『仮面ライダークウガ』って何なのさ? と考えてみると、「特異点」という言い方がふさわしい。

『クウガ』は、「平成ライダー」第1弾として紹介される。

単純に時系列でみれば、そうなんだろう。わかる。だけど、なんか違う。

私の中では『アギト』からが平成ライダーという認識で、『クウガ』はちょっと独特なポジションにいる。

本記事では、ただただ私の『クウガ』に対する想いを書き連ねたい。

最後までおつきあいいただければ幸いだ。

目次

昭和ライダーの集大成

「平成ライダー」と呼ばれる作品群に共通するのは、「仮面ライダーでありながら、仮面ライダーではない何かになろうという意思」だ。

それに反し、昭和のライダーたちは、どれもこれもが新しい要素を盛り込みながらも、「仮面ライダーであり続けよう」としていたように見える。

それは、『仮面ライダー』という看板を背負うからには、きちんとその伝統を受け継がねばならないという、ラーメン屋の、のれん分けのようなものだ。リスペクトと言っても良い。

しかし、その結果、「仮面ライダー」は”終わって”しまった。チェーン店みたいになってしまったのである。

作品というのは、唯一無二でなければならないと思う。

例えシリーズであったとしても、「ああ。またいつものアレね」と思われたらおしまいだ。吉本新喜劇とは違うのだ。

『仮面ライダーBLACK』『仮面ライダーBLACK RX』という、昭和最後の花火のような作品を生み出すことはできたが、新たなファンを増やし、次回作を渇望させるようなことはできなかった。

それは、どれもこれもが「仮面ライダー」に他ならなかったからである。

仮面ライダーBLACK RXは、3種類のフォームを使い分け、武器を振るうという新機軸を取り入れたが、コアなファンによる「こんなの仮面ライダーじゃない」という声が上がる結果となってしまった。

これが「平成ライダー」であれば、そんな声は上がらなかったかもしれないし、上がったとしても無視できただろう。

何故なら、「仮面ライダー」という名前と、デザインなど最低限のルールだけは引き継ぐが、基本的には誰も見たことのない作品を創ろうという意思が見えるから。

しかし、昭和のライダーたちは、どれもこれもが仮面ライダーであろうとした。伝統芸といえば聞こえはいいが、深刻なマンネリ化を引き起こしたとも言える。

そうして10年も経ってからTVシリーズとして復活した『クウガ』は、そんな昭和ライダーの延長線上にいながらも、確実に空気を変えた。

誰がどう見ても仮面ライダーでしかないデザイン。改造人間ではないけれど、ふとしたきっかけで人外の存在になってしまい、苦悩する主人公。善と悪の対立という構図も、これ以上ないほど明確にされている。

言うなれば、『クウガ』は昭和ライダーの集大成だ。コアなファンも納得する「仮面ライダーとは?」という問いに対する答えが全て詰まっていると言っても過言ではない。

しかし同時に、昭和ライダーの遺産を精算するきっかけを作った作品でもある。

『クウガ』”らしさ”

昭和ライダーの”らしさ”を大切にしながら、革新的な新しさも取り入れたのが『クウガ』だ。

ここではそれらを具体的に解説しよう。

ドラマ

何より大きかったのは、ドラマだろう。

もちろん、昭和ライダーにも物語はあったが、それは、毎回登場する怪人とライダーが戦う理由づけとしての物語でしかなかった。

ちなみに昭和ライダーではデフォの設定となっていた「悪の秘密組織を壊滅させる」というのは、『スーパーマリオブラザーズ』でいうところの、「クッパに攫われたピーチ姫を救い出す」というのと一緒で、ドラマではなく最終目標。ドラマはそこに向かう道のりを描く部分だ。

それまでの作品では、出現した怪人を倒す。また怪人が出現する・・・という1話完結型の無限ループのような展開が続き、放映期間終了間際になって、バタバタとラスボスとの戦いになだれ込むというのがお決まりの展開で、途中で数話見逃したところで、ほとんど影響はなかったが、『クウガ』はそうではない。基本的な流れは踏襲しながらも、徐々に謎の核心に迫るようなつくりとなっているため、1話見逃すと、もうなんだかわからない。文字通り、目が離せない連続ドラマに仕上がっているのだ。

そして、特撮作品最大の見どころであるはずのバトルシーンの扱い方も特殊だ。

これまでの作品では、バトルシーンを描くための”繋ぎ”としてドラマがあるという、まるでサビのためにAメロ、Bメロを紡ぐような、一昔前のJ-popみたいな作りが多かったわけだが、『クウガ』はとにかくドラマ重視だ。ドラマの中で必要な分しか戦わない。だからこそ、大人の視聴にも耐えられる作品になったのだと思う。

リアリティ

さらに、圧倒的なリアリティを持ち込んだのも大きい。

例えば、人間を脅かす怪物たちと戦うのは、正義を愛するレーシングクラブのオーナーなどではなく、警察である。

ちょっと、銃を撃ちすぎかな? とは思うが、「対◯◯特務機関」のような都合の良い組織を登場させるよりは、よほど現実的だった。

謎の怪物を「未確認生命体」と呼び、クウガも同様に「未確認生命体」としてカテゴライズするところも現実的だ。

「仮面ライダー」なんて、誰がつけたかわからない名称をいつの間にか名乗ることはないし、人間とは思えない存在を、正義の味方だなんてカンタンに信じるような楽天家はいないのである。

この「仮面ライダー」という呼称がないことも大きい。おかげで、パンチやキックはただの格闘技の一つとなった。「ライダーパンチ」や「ライダーキック」なんて名前の技はキレイさっぱり消え去った。そもそも鈴木さんのパンチは、ただのパンチでしかなく、「鈴木パンチ」なんてものではないのだ。

なお、「クウガ」という名も、「敵が自分のことをそう呼んでいた」という理由に基づいているのであって、主人公たちが勝手にネーミングしたわけではない。

「謎」

どうしたってリアリティを持たせづらい要素は、徹底的に「謎」とする姿勢も、妙な現実感を生んでいる。

例えば、変身ベルトは、古代の遺物という設定だ。我々は、近所に住んでいる”自称:科学者”みたいな人が、とんでもない未来ガジェットを作れるとは思っていない。しかし、超古代には現代以上のテクノロジーが存在した、といった話には、割と寛容である。誰も見たことのないアトランティス大陸の存在を、無条件に信じている人は少なくないはずだ。

だから、謎の力で変身し、謎の力で死の淵から蘇り、謎の力でパワーアップする、といったご都合主義も、不思議とすんなり受け入れることができてしまう。

さらにいえば、怪物たちも謎だらけ。その謎こそが、不安感を煽る。

怪物たちは古代語でしゃべるという設定のため、何を話しているかわからない。いきなり言葉のわからない外国に放り込まれたような気分になる。外国人の集団が、こちらをチラチラ見ながら、知らない言語で会話してニヤニヤしている。そんな不安感。

そして、何が目的で、人間を襲うのかも謎。

理由なき殺人・・・これも荒唐無稽と斬って捨てることはできるだろうが、世界征服よりもよほど現実的に映る。イライラしたから殺した。そんな無差別な通り魔は、いつの時代も身近に存在する。電車で隣に座った人がそうかもしれない。そんなこともあり得るという現実の恐怖を、謎によって増幅している。

「命」と向き合う

徹底的に「命」と向き合う姿勢も『クウガ』らしさだ。

主人公・五代雄介は、こんな人間が現実にいるわけがない、と思わせる「いいひと」で、そのバディ・一条薫は、模範的な刑事というのがふさわしい正義漢。

対する怪人たちは、冷酷非道の集団であり、そのコントラストの強さが、互いの光と闇を色濃く浮き上がらせる。

怪人たちの非道ぶりは、徹底的な暴力で表現される。2021年の日曜日の朝に、こんな内容を放映したら、まず間違いなく苦情が殺到するようなエグさである。

対する五代雄介は、クウガに変身してもなお、死への恐怖で呼吸が荒くなる。他の作品でも、戦うことが怖くなり逃げ出す主人公が、また何かのきっかけで力強く立ち上がる、といったエピソードは多い。

しかし、五大雄介は逃げない。常に死の恐怖と闘いながら、それでもなお、戦い続けるのである。

さらに、クウガのアーマーは剣で切り裂かれ、スパイクで穴が開く。敵の攻撃で血が吹き出したりもする。大抵の仮面ライダーは、敵の攻撃を受けても火花が散るだけだというのに、なんなのだろう。この生々しさは。

こうして徹底的に死を描写することで、浮かび上がる生。

「生きる」ということを、これほどまでに雄弁に語る特撮作品は稀有である。

そうして繰り広げられる最終決戦は、ライダー史上どころか、特撮史上に残る名シーンだ。

ボロボロになりながらも、無敵に見えたラスボスを倒す姿を見て、胸のすく想いをすることは数あれど、ラスボスとの戦いを見て、胸が締め付けられるような想いがする作品というのは決して多くない。

詳しいネタバレはしない。見たことがない、という方には是非とも実際に見ていただきたい。

平成ライダーへの架け橋

メインスポンサーでさえ知らなかったフォームを勝手に登場させるといった、普通ならありえない伝説(暴挙?)まで作り上げた作品は、これ以上ないほどのエンディングをもって幕を下ろし、次の『仮面ライダーアギト』へとバトンタッチする。

『仮面ライダーアギト』は、3人の仮面ライダーが登場するという、まさに新時代のライダーであった。

基本的に、孤独な戦いを続ける仮面ライダーから、仲間たちと共に戦う姿が、今までよりも強調されるようになり、これ以降の仮面ライダーの歴史を塗り替えていくことになる。

これ以降の作品は、『クウガ』ほどの暴力の描き方は流石にしていないが、ドラマを重視した作りは、きちんと受け継いでいるように思う。

いつの時代も変わらない「スーパー戦隊」とは明らかに立ち位置を変えたシリーズとして、これからもその歴史を刻み続けていくのだろう。

こうして見ていくと、やはり『クウガ』は独特。

放映された時期だけを考慮すれば、間違いなく「平成の仮面ライダー」なのだが、その立ち位置は同じとは言い難く、「特異点」という呼び方がふさわしい。

夜空に朝日が昇る前の一瞬の輝きのような、儚げで、それでいてとても印象的なもの。

昭和の時代を駆け抜けてきた仮面ライダーの歴史に敬意を表しながらも、次の時代へと繋ぐ強い意志を示した、まさに架け橋のような作品だったと思うのだ。

先述したとおり、ここでは詳しいネタバレはしない。

気になった方は、是非、自分の目で確認して欲しい。

雷堂

それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。

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この記事を書いた人

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