
2021年9月5日にスタートした令和ライダー第3弾『仮面ライダーリバイス』。
本記事を執筆している時点で、既に第2話が放映されており、個人的にはめちゃくちゃ好印象である。
実は、事前に届けられた「劇場版」や「セイバー増刊号」では、正直、ピンと来なかった。コミカルさばかりが強調された生ぬるい雰囲気には、いよいよヤバいかも・・・と、仮面ライダーシリーズの展望に不安さえ感じていた。
それには、前作『セイバー』で感じた大きすぎる失望のせいもあるだろう。
しかし、TV本編が始まるや否や、あっさりと私の中の不安を吹き飛ばしてくれた。
これまでしつこいくらいに、あの生ぬるい雰囲気ばかり強調してきたのは、より本編が引き立つように計算していたのかと感じるほどのバランスの良さ。
コミカルさは確かにあるものの、その根底にはハードなものが潜んでいることが伺えたし、一見、幸せそうに見える家族は、実は危うげなバランスの上に成り立っているといった“影“も垣間見える。
例えるなら、めちゃくちゃポップな曲調なのに、実は陰鬱な歌詞が乗せられたUKロックのよう。聴きやすいだけでなく、掘ってみると意外な深さに驚く。
しかし、既に「つまらない」と感じている人たちもいるようだ。
いったい何がつまらないのだろう? と考えてみると、その違和感は、おそらく本作がテーマとしている「家族」「悪魔」(もうひとつ「銭湯」というテーマもあるが、それはここでは置いておく)と、「デザイン」に集約されていると思われる。
本記事では、それらについて考察してみたいと思う。最後までおつきあいいただければ幸いだ。
家族
『リバイス』はライダー史上初と呼べるほど、「家族」を描いている作品である。


家族で食卓を囲むシーンなんてのは、普通のドラマならありふれた光景だが、仮面ライダーにおいては、なかなか見られない。そもそも家族が登場するということ自体が珍しい。
主人公が他人のファミリーの中に混ざる、という図式は『仮面ライダーBLACK RX』や、『仮面ライダーアギト』などで見られたし、姉や妹が登場するというのは、『クウガ』や『カブト』、『電王』『鎧武』などでも見られたが、主人公が自らの家族と団欒するシーンというのは、見たことがない。
初代『仮面ライダー』の頃から、ライダーというのは基本的に謎めいていた。生い立ちはわからないし、生活感も薄い。そして何より孤独だった。それこそが仮面ライダーのアイデンティティとされていた部分は大きい。
ところが本作においては、家族全員勢揃い。しかも、ただ登場するだけでなく、ドラマに密接に絡んでくる。歴代ライダーを見てきた人ほど、違和感を感じるのではないだろうか。
「優しい家族に、温かい家庭? こんなものは仮面ライダーじゃない。」
そんな固定観念が、『リバイス』をライダー作品だと認めたくない、と否定的に捉えさせてしまうのではないかと思うのだ。
悪魔
人間は、誰もが心の中に「悪魔」を宿している、というのが本作では重要なポイントとなっている。
『リバイス』は、その悪魔を実体化させ、共に戦う。現時点で敵の怪人以外で登場している悪魔は、主人公の中に潜む「バイス」だけだが、これが良くも悪くもクセの強すぎるキャラクターだ。


ディズニー映画『アラジン』に登場するランプの魔人・ジーニーを彷彿とさせる悪ノリが特徴で、それを「ウザい」と感じる人は少なくない。悪魔・バイスと主人公・一輝の掛け合いも本作の見どころのひとつとされているが、ただただ鬱陶しく思っている人もいるということだ。
個人的には掛け合いよりも、時折差し込まれる、視聴者に語りかけてくるシーンは要らないような気もしている。昔からよく使われる手法だが、どうしてもコメディタッチになる。コメディ要素はライダーに付きものなので、それは置いておく。それよりもドラマから急に現実に引き戻されてしまい、没入感が削がれることの方が問題。
バイス役の声優が『ドラえもん』のジャイアン役・木村昴さんであるため、「ジャイアンにしか聞こえない」と、からかう人たちもいるが、これは国民的人気アニメの看板を背負っているゆえのこと。木村さんのファンはこれを不快だと思うかもしれないが、ネタだと思って諦めるしかない。実際、聴き比べてみると、別に似てはいないから、「同じ声優」という情報を知らなければ、何の違和感も感じないだろう。
また、敵の悪魔・デッドマンのデザインを微妙だと感じている人もいそうである。
本作では、「バイスタンプ」というスタンプ型のアイテムによって、人の中に潜む悪魔と契約を結び実体化させる、という設定となっている。そのため、契約書がクシャクシャと変形した折り紙のようなデザインで悪魔を仕立てているのだが、そういった予備知識がないと、その独特なデザインを楽しむことはできない。


むしろ、近年見たことがないほど、不恰好で幼稚に見えてしまう。セイバー増刊号に登場したバッタ・デッドマンなんて、初めて見た時には悪い冗談だと思ったものだ。


『W』に登場したドーパントや、『ジオウ』に登場した「アナザーライダー」などは、いかにも「悪魔らしい」デザインだと思うし、どこかでああいった悪魔を期待していた人も多いのではないだろうか。




だとすれば、不恰好にも見える折り紙細工のようなデザインには違和感しか感じないだろう。この「なんか違う」という感想は、「期待はずれ」=「つまらない」に繋がってしまうと思う。
デザイン
『リバイス』のデザインは、ギョッとするほど独特だ。
先ほども悪魔のデザインについて少し触れたが、ライダーはもっと凄い。主人公・仮面ライダーリバイは歯を剥き出した恐竜だし、相棒の仮面ライダーバイスは被り物。いや、特撮ヒーローは、みんな被り物じゃん? ということではない。文字通り、バイスがアーマー類を着込む(着ぐるみがさらに被り物をする)という設定なのだ。


実際に動いているシーンを見ると、普通にカッコ良く見えるのだが、パステルブルーとピンクというポップなカラーリングは、それだけで一部の仮面ライダーファンの失笑を買っている。
なんだか『エグゼイド』の頃を思い出す。
コミカルな目玉のあるマスクに、蛍光カラーのポップなデザイン。あのデザインだけで見る気が失せたのは懐かしい記憶。


実際に見てみたらどハマりして、今では過去作の中でも5本指に入るほどの名作だと思っているが、それでも当時はガッカリした。
さらに変身ベルト「リバイスドライバー」は、立体的な動きは面白いが、全体的なデザインは微妙だ。カッコ良さよりもギミックの面白さを優先したようにも感じるし、仮面ライダー50周年記念作だからと言って、「50」の刻印はやりすぎだ。
ベルトの左にあるディスプレイにバイスタンプを押すと、そのスタンプに刻まれた生物のイラストが写し出されるというのは面白いアイデアだが、その画面はタカラトミーの「せんせい」みたいな雰囲気で、正直、チャチだ。


これから続々登場予定の変身アイテム「バイスタンプ」はその独特な形状から、一部では「オナ◯」と揶揄されている。そういったツッコミを目にすれば目にするほど、『リバイス』に対してイマイチな感情が湧き上がってしまうのは、ある意味、普通の反応だし、周囲にそういう人が多ければ、その中で自分だけ「面白い」と口に出すのは憚られるものだ。
実際、『リバイス』に限らず、好意的な感想に対して「信者」呼ばわりして揶揄する人たちは多いから、一旦おかしなイメージがついた作品というのは、どんどん近寄りがたいものになってしまう。
イロモノ要素は多いけど
しかし、先述したとおり、私個人は『リバイス』を非常に面白いと思って見ているし、今後の展開には期待しかない。だから少なくとも今のところは「つまらない」という感想とは無縁である。
確かにイロモノ要素は少なくない。ポップな恐竜デザインにはまだ慣れないし、バイスタンプを見るたびに「◯ナホ」が頭をよぎる。
しかし、ライダーの歴史に置いて、イロモノは悪ではない。
『龍騎』は特撮の新時代を切り拓いた伝説の作品だし、まさかの電車に乗って現れた『電王』はシリーズ屈指のヒット作となった。デザインだけで仮面ライダーの終焉を予感させた『エグゼイド』は、見たらハマる素晴らしい脚本の作品である。それに、昭和ライダー最大のイロモノ『アマゾン』は、今なお記憶に残るライダーだ。
そもそも、石ノ森章太郎作品に登場するヒーローというのは、どこか変で、なにかが欠けていた。
その不完全なところが、我々の共感を生み、熱狂させてきたのだ。だって、ヒーローといえど人間だもの。完全無欠はあり得ないし、むしろ近寄り難い。
気になる点はあるだろう。イマイチだと感じる点もあるだろう。
ここで思い出して欲しいのは、ジグソーパズルだ。ひとつひとつのピースは全て欠けている。その中には、明らかに重要そうな絵柄がプリントされたピースがある一方で、果たしてどこに使われているのかさえわからない余白のピースもある。しかし、そのどれかひとつが欠けても、パズルは完成しないのだ。
完成したパズルが好みでないことはよくあるし、組み上げている途中でイヤになって辞めてしまうこともよくある。『リバイス』に対しても、今後、急に「つまらない」という感想を持つこともあるだろうが、私はそんな過程も楽しみながら、新たなライダーの作品を最後まで見届けたいと思っている。



それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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