『仮面ライダーリバイス』第1話オーディオコメンタリー【物語の裏側】

ついに放映開始された『仮面ライダーリバイス』。

別記事で第1話の見どころをレビューしたが、「TTFC(東映特撮ファンクラブ)」で通常の第1話に加えてプロデューサー・望月卓さんと脚本家・木下半太さんのオーディオコメンタリー付き第1話の配信も始まったので視聴したところ、なかなか興味深いお話が聞けたので、レビューしてみたい。本作のテーマである「家族」と「悪魔」と「銭湯」について、それぞれ気になったことをまとめてみるので、どうぞ最後までお付き合いください。

目次

家族

第1話で描かれている五十嵐一家というのは、典型的な温かい家族像である。自営業で昔ながらの銭湯を経営し、お互いに助け合い、認め合って暮らしている、笑顔の絶えない家族。

仮面ライダーリバイス五十嵐一家
画像引用元:仮面ライダーリバイス

末っ子・さくらは年頃の娘らしく、父親に冷たい視線を向けたりもするが、仲の良い5人家族であることに変わりはない。

情報解禁されてすぐに、この仲良し家族のことも明かされたので、『リバイス』ではこの家族こそが、戦いに疲れた主人公・一輝の憩いの場所になるんだろうと思っていたが、今回のオーディオコメンタリーでは、「家族はそれほど単調なものではない」といった話が出ていた。

同じ家庭で育った家族なのに、なぜこんなにも違うのか? これは、大家族で育った私にはとても共感できる話だった。

同じ家で同じものを見て、同じものを食べて育ってきたのに、兄妹で考え方はまるで異なる。場合によっては他人よりもタチが悪いというか、「家族」だからと甘えてしまい、我を通し、お互いに擦り寄ることさえ放棄してしまうことがある。そんな場面を多く見てきた。

私は常々「家族とは呪いだ」と思っている。なんだか物騒に聞こえるかもしれないが、人はそれぞれ「家族」のあるべき姿というものを持っていて、それこそが幸せの形だと信じている。そしてその姿に縛られる。自分が理想とする「家族」の形を築きあげようと他の家族を巻き込む。家族とは、それぞれの理想とする幸せな家族像をぶつけ合う場所なのだ。

大抵のことは、異なる意見を持ち寄れば、お互いに譲り合い、擦り合わせるくらいのことはあるけれど、自分が信じる幸せの形というものは、なかなか譲ることができないものだ。だからぶつかるばかり、なのである。『エヴァンゲリオン』のATフィールド同士がぶつかり合う感じ? 『呪術廻戦』的に言えば、領域展開同士がぶつかるようなもの? いや、『呪術廻戦』は読み込んでいないから、軽率なことを書くのはやめておこう。

いずれにせよ、こういう側面は、あまりやり過ぎるとニチアサではなく昼ドラになってしまうが、家族だから言えないこと、家族だから抱えてしまう厄介な感情というものは確かにあって、そこにまで踏み込むとすれば、『リバイス』はとんでもなく深いドラマになる。

メインターゲットである子供たちでもわかりやすい内容にまとめるのか、いつかこの物語の意義を理解してもらえる日が来ると信じて、遠慮なく大人向けの内容に仕上げるのか。見ものである。

悪魔

「誰の心にも悪魔は潜む」ということを本作はのっけから突きつけてくる。

悪魔崇拝組織デッドマンズによって、次々に悪魔を実体化させられる人々。

第1話で「みなさんの平和を守ることをお約束します」と声高らかに宣言した対デッドマンズ組織・フェニックスの隊長・門田も、リバイスドライバーに変身を拒絶された途端、中から強力な悪魔が姿を現してしまう。

そもそも、家族を愛し、銭湯を守る熱血漢である主人公・五十嵐一輝も、悪魔をその身に宿していたのだ。

画像引用元:仮面ライダーリバイス

一輝の悪魔は、ノリの良いキャラクターと、そのままライダーになってしまうという展開も相まって、なんだか悪くない悪魔だと勘違いしてしまうところもあるが、第1話で実体化した途端、一輝たちの母・幸実を「美味そう」と言って食べようとする。

その後のバトルでは、一輝のピンチを助けて活躍もするが、「だって一輝が死んだら、俺っちも死んじゃうからね」と口走っている。要するに我が身かわいさで戦っているだけ。やっぱり悪魔なのである。

オーディオコメンタリーでも、「なぜ一輝から悪魔が生まれたのか?」といった疑問が提示されていた。これはおそらく、一輝がプロサッカー選手への夢を諦め、実家の銭湯を守ろうとしているあたりにヒントがありそうだ。

さらに公式では、弟である大二もそのうちライダーに変身することが発表されている。ということは、大二もまた、悪魔をその身に宿しているということだ。

リバイスドライバーの適合者とされていたにも関わらず、ビビって変身することができなかったために、兄・一輝が変身を遂げてしまった第1話。既にネット上では、大二が闇堕ちするのでは? といった予想が出回っているが、これには木下さんも言葉を濁していたが、兄への嫉妬心とか、そういったものがトリガーになって、大二の中の悪魔が姿を現すといった展開はありそうだ。

つまり、人間誰もが心に悪魔を宿していて、一歩間違えば危険極まりない存在だということ。常に、鋭利な刃物を懐に忍ばせている状態だと言い換えても良い。しかし、それをどう使うかは人それぞれの心の持ち方ひとつで、大抵の人は、自らが持つ刃物の威力を知っているからこそ、それを使って誰かを傷つけたりしないよう、理性で制御している。

これはまさに今の一輝と同じ状態。実体化した悪魔の危険性を知りながらも、家族を守るために悪魔の力を利用した。結果的には、正義のために戦うライダーという図式になったわけだが。そのうち、悪魔の力を使って自らの欲望を叶えるために暴れ回るライダーなんていうのも出てくる可能性はある。

オーディオコメンタリーでは、「当初は天使と悪魔の設定だった」とお話されていたが、そういった完璧な善と完璧な悪という単純な図式ではなく、不完全な人間と悪魔という図式を採用したことで生まれるドラマが期待できそうだ。

なお、本作では悪魔を召喚する際、紙の契約書を取り交わすという演出があるため、悪魔たちの姿は、折り紙細工のようになっている(バイスは例外)。最初は不恰好な敵だなと思っていたが、意図が理解できた今は、なるほどと頷くより他にない。

画像引用元:仮面ライダーリバイス

銭湯

舞台が銭湯になったのは、脚本家の木下さんが銭湯好きだから、というのが最大の理由らしい。

『セイバー』で登場した「ファンタスティック本屋かみやま」では、飛羽真のデスクの背後に「男湯」「女湯」の装飾があることから、『セイバー』が始まった頃には既に『リバイス』のアイデアがあったのでは? といったことも話題になっていたが、どうやら偶然でしかなかったようだ。

ファンタスティック本屋かみやま
画像引用元:仮面ライダーセイバー

仮面ライダーシリーズのお約束として、秘密基地がある。ライダーの本拠地であり、憩いの場でもある。平成ライダーの頃までは毎回必ず存在していたが、令和になってからはちょっとぼんやりとしてしまった印象がある。

『ゼロワン』ではギリギリ社長室とラボがその役割だったかな? と思う。物語後半では小さな事務所へと場所を変えてしまうが、まあコレはコレで、どんな状況下でも「夢に向かって飛ぶ」という姿勢が貫かれていて良かったと思う。

『セイバー』ではファンタスティック本屋かみやまと、ソードオブロゴスのノーザンベースという、それらしき場所が2箇所も登場してしまったことから、どっちつかずの印象だった。

しかし、『リバイス』では間違いなくこの銭湯こそが秘密基地となるのだろう。

入浴シーンもお約束のように盛り込まれそうだが、登場人物が悩みを打ち明けたりする場面でお湯に浸かるという画は、ちょっと『仮面ライダーキバ』を彷彿とさせる。

湯気が揺らめく大きなお風呂でキャストたちが語らうシーンは、それだけで和やかな雰囲気となりそうだ。悪魔が跋扈する殺伐とした世界と、家族で入る温かいお風呂というのは、まさに社会と家庭という二つの対照的な世界を切り取っているよう。『リバイス』は、人間と社会の本質というべきものを「仮面ライダー」という枠組みの中で見せてくれる作品になりそうでワクワクしている。

それでも残る不安要素

第1話を見て、オーディオコメンタリーも見て、現時点で『リバイス』に対する期待は膨らむ一方。ここまで語りたくなるライダーというのも珍しい。

ただし、不安要素がないわけではない。

実際、既に『リバイス』がつまらないと感じている人もいるだろうし、今後の展開に不安を抱き、なんだか微妙だなと感じている人もいると思う。

おそらく既につまらないと感じている人のほとんどは、バイスに対して違和感を持っているのではないかと思う。

バイス
画像引用元:仮面ライダーリバイス

ただしコレについては、声優の木村昴さんに対するアンチコメントを残している人もいるが、それとは全く違う。そもそも、誰が演るかということだけでマルかバツかの判断をする人の意見は重要でない。まるで、宇都宮で食べる餃子はどれも素晴らしく美味しいとか、イギリスはどこもメシが不味いというくらい信用できない。見る目があるとは到底思えないのだ。見えているのは看板だけ、という気がする。好きか嫌いかは自由だが、「あの人だから期待できない」なんてのは、トイレの落書きと同レベルだ。

ちなみにここでいうバイスに対する違和感とは、ノリが合うとか合わないとか、いちいちウザいとか、そういったキャラクター設定に関してのことも含まれるが、1番の問題はそこではない。

オーディオコメンタリーで、脚本家・木下さんが「新たな挑戦」と言っていたが、時折視聴者に語りかけるというメタ視点は、『リバイス』に対してめちゃくちゃ好印象を抱いている私でも、いきなり現実に引き戻される感があって、物語に没入できない。木下さんもその危険性は理解した上で書いているようだから、行き過ぎたことにはならないとは思うが、微妙な演出であることは間違いない。挑戦を否定はしないが、本当に必要なことなのかというのは甚だ疑問である。

我々は仮面ライダーを見たいのであって、ジーニーのマジックランプシアターを見にきているのではない。それに、ただでさえジーニーっぽく仕立てているバイスだからこそ、あまりにもジーニーに寄せ過ぎるのは良くない。ただし、子供たちは好きかもしれないということは付け加えておく。

デザインが好きじゃないといった意見もあろうが、あの『エグゼイド』でそういった前評判を軽々と跳ね除けた実績を考えれば、見ているうちに評価がガラッと変わる可能性は十分に高い。実際、第1話でのバトルシーンでは、違和感よりもカッコ良さが圧倒的に目立った。

それに、「戦隊っぽさが気になる」といった意見も見かけた。これは「ライダーは孤独の戦士」であって欲しいということなのだろうが、実は初代『仮面ライダー』の頃から協力者は存在し続けたし、平成に入って『アギト』以降は、ライダーの共闘は当たり前になっているのだから、ちっとも孤独ではなくなっている。

こう書くと、違う違う。そうじゃ、そうじゃないと言われるであろうことは理解している。平成ライダーたちの共闘とは、孤独感を抱えてきたマイノリティ同士が、ぶつかり合う中で心を通わせ、ついには共に戦うことになる、という過程こそが醍醐味である。

前作『セイバー』は、いきなり組織の中の一人になってしまうということで、戦隊っぽさが拭いきれず、ライダーとして迷走してしまったところはある。

では『リバイス』はどうだろう? 悪魔・バイスと2人で戦うから孤独じゃない? 歴代ライダーでは見たこともないような家族団欒のシーンから孤独の影は感じない?

どちらも違う。

先述したとおり、バイスと一輝はそもそも反目し合う関係であるにも関わらず、お互いの利益のために仕方なく協力関係を築いているに過ぎない。

また、家族がいるから孤独ではないどころか、これも先述したとおり、家族とは呪いだ。人それぞれに思い描く理想の家族像は異なる。それなのに、家族の誰かが、他の家族の考える幸せを守りたいと思うことで、自らの理想は歪んでしまう。さらに、誰かと一緒にいることで浮き彫りになる孤独もある。家族とは、孤独を完全回避するための安全装置にはなり得ないのである。

本作は、家族が抱えるそういった問題も含めて、一人一人の人間を描こうとしているように感じるのだ。

だいぶハードルを上げてしまった感はあるけれど、第1話とオーディオコメンタリーを見て、そのくらい『リバイス』に対する期待が上がったのは事実である。既に見切りをつけてしまったという方も、もう少し辛抱強く視聴を続けてみてはいかがだろう。

あとは、どうやら20個ほどは登場しそうなバイスタンプによって、フォームの無駄遣い感が出ないことを切に祈るばかりだ。

画像引用元:仮面ライダーリバイス

それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。

このオーディオコメンタリーを視聴するには「TTFC(東映特撮ファンクラブ)」で↓

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この記事を書いた人

世界中の子供たちと、ヒーローを忘れられない大人たちに向けて、さまざまな”ヒーロー”に関するブログと、歴代仮面ライダーを中心としたイラストを書いています。マスク割れアイコンが目印。

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